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六社揃踏み期 2

・1955年参考までにキネ旬では一位から順に「浮雲」、「夫婦善哉」、「野菊の如き君なりき」、「生きものの記録」、「ここに泉あり」で興収は一位から順に「新諸国物語 紅孔雀」、「修善寺物語」、「ジャンケン姫」、「新・平家物語」、「亡命記」となっております。洋画は「エデンの東」、「スタア誕生、「裏窓」などが公開されております。一応念のためですが「新諸国物語 紅孔雀」は5篇もので1954年12月27日に第1篇、1955年1...

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六社揃踏み期 1

日活が製作再開(1954年)してから新東宝が倒産(1961年)するまでの短い期間が六社で邦画界を盛り上げていた時期になります。ちょうど映画館への入場者数もピーク時にあり、映画=娯楽という図式がまだ成り立っていたわけです。独立系も活発で本数も多かったので大衆向け娯楽作品から前衛的な芸術作品まで幅広いジャンルの邦画が製作されました。・1954年本当にあくまでも参考までにですが『キネマ旬報ベストテン』では「二十四の瞳...

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もしも永田大映が誕生しなかったら 2

今回は女優編となりますが、まあ看板となるのはやはりあのお三方な訳です。ただ経歴を調べてみるとそこに食い込んでいたであろう方もおりまして、月丘夢路と乙羽信子は宝塚歌劇団退団後は大映に入社(月丘は4年後松竹移籍、乙羽は2年後近映協)、南田洋子も若尾文子とニューフェイス同期(3年後日活移籍)だったりします。移籍しなかった場合を妄想するのも面白いですが、それはとりあえず置いときましょうか。[女優編]・京マチ子...

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もしも永田大映が誕生しなかったら 1

永田雅一が新興キネマ京都撮影所所長でなかったとすれば、おそらく大映誕生には至らなかったはずでタイトルは微妙な感じもするのですが、やはり倒産まで社長職にあったという点からその時代の大映=永田雅一であると定義付けたいところです。永田雅一が存在しなかったなら、としても良いのでしょうが、その時代の象徴として永田大映とさせていただきたいのであります。[男優編]永田が社長になってから阪妻、千恵、右太、嵐寛が脱退...

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その時代ツリー図

大雑把ですがその時代のツリー図をつくってみました。実際はもっと動きはあるのですが、パッと見でわかりやすく、大手の関わりだけに絞っております。・1945年終戦、・1953年にテレビ放送開始、・1958年が映画館入場者数のピーク、・1964年東京オリンピック開催、あたりを補足しておきましょうか。各社の詳細な歴史についてはある程度情報も行き渡っておりますので割愛させていただきますが、やはり松竹の真直ぐっぷりが目をひきま...

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